久しぶりに実家暮らししたら精神的にやっぱりきつい話
私は2年数か月のベトナムでの暮らしにいったん終止符を打ち、今年の1月に帰国した。
コロナで先行きの見えない不安、体験したことのない孤独や社長のパワハラ、原因不明のじんましんなど様々なことがあり、私は自分を見失いかけていた。
いったん、日本で心と体を整えたい。
母と妹に打ち明けた時、「いったん帰って考えたら。」と言ってくれた。
特に妹は私を受け入れるために協力してくれ、私のために隔離部屋を作ってくれたり、必要なものを揃えてくれたり、荷物を整理してくれたりといろいろとやってくれた。
しかし、1か月もしないうちに、”実家で家族と暮らす”ということにとても疲れてしまい、友達の家に3週間ほど居候したりもした。
ふと夜中に「実家暮らし しんどい」と検索してみた。
仕事で疲弊しきった心も身体も、どうにかしたくて、ずっと自由になりたかった。もっと広い視野で広い世界で、生きたくて決断したはずだった。
そのために実家に戻ってきたのに、今じゃ自由じゃないと感じ始めている。出典元:
わかるなぁ。
見ず知らずの人の文章にすごく共感してしまった。
そう、私も色々とやり直すために帰ってきたのに、今とても窮屈だ。
原因は制約と、音。
常に誰かや音に囲まれている生活に、とても疲れる。
私はHSPだということが最近とても腑に落ちているのだが、HSPは特に周りに人がいる環境がだめで、1人の時間が必要なんだという。
まさにその通り。
今のアパートに私の個室はない。
ベトナムに行く以前はあったのだが、私がいない間に、荷物は全て押し入れに整理され、父が今個室を使っている。
居場所がないので、いつもリビングで作業をしているのだけれど、テレビの音が常に流れていたり、父の愚痴(高齢なのに、死ねばいい、殺すなどを常に吐き出している。)家族の問題、父母の豪快なゲップ音、オナラの音・・全て聞こえてくるだけで多分普通の人の倍は疲れている。
自分のことがしたくても話しかけられたり、詮索されたり、母の「皿とって」「ごはん早く食べなさい」等ペースをかき乱されると無性にイラっとしてしまい、不必要に母に当たってしまう。
この間、油断して母がいる前で、あるカスタマーサービスに電話をしていたら、内容を聞かれていて、あとで「もっとゴネたらよかったのに」などと言われ、すごくしんどくなった。聞いてんじゃねーよ!
風呂も電話も寝る時間も制約がある生活。
それが実家。
こんなことは他人からすると、実家があるだけで贅沢とか些細なことだろうけど、小さなことでも積もってくると負担になってくる。
最近は家に戻るだけでため息が出るし、父がリビングにいるだけでも嫌になる。
やっぱりこのままじゃだめだなぁ。
だからまた家をでることにした。
今度はしばらく帰ってくることのないように、しばらく家族とは距離を置きたいなと思う。
家族だからこそ、一定の距離が必要なことを今回の居候であらためて感じた。
自分の部屋がない分余計そうかもしれない。
残念ながら私にとって実家はいつでも帰れる場所じゃなくなった。
年に1、2回会えたらそれでいい。
家族団らんもいらない。
お互いそれぞれがとにかく健康で生きていられたら、それでいいし、たまに遠くから両親にはプレゼントを贈ろうと思う。
それくらいの感情はまだ残されている。
本当に家族って一体何なんだろうと思う。
そして私の「居場所」はどこにあるんだろう。
こんなに誰かと一緒にいることに疲れているのに、結婚とかできるんだろうか。
他人と家族になれるんだろうか。
またひとりに戻った。