レタス・サンチュ水耕栽培の経過
【栽培に関係ない前文なので飛ばしてください】
最近、いつも見てるインターネット番組に昔の知り合いが偶然出演しているのを見ました。10年以上前に一時期関わっただけだったので全く思い出す事はなかったんですが、本名でそのまま出ていたのですぐにわかりました。
その人は5年位前に上京して、今では某有名監督プロデュースの芝居に千何百人の中から選ばれてたり、超有名女優さんと共演したりと、華々しい活躍をしているそうで。
まあその人は学生の頃から芝居一本で大学もそれ系だったし、それが生きがいなんだと思います。周りにもいるけどそれ以外の道は考えられなかったみたいな。
芸術系の金は掛かるけど金にならない分野は、才能、運、タイミング、お金のすべてが良い具合でマッチしないと難しいでしょう。
どこまでを目指すかにもよるとは思いますが。
特にしたいこともない、田舎でくすぶってる自分って何なんだろう。その日は一睡もできませんでした。眠れないってこんなに苦しいんだなあ。
種をまいて4日目のレタス。
可愛い芽が出てきました。順調なのかな?
水やり以外はしてません。でも栄養剤も買った方がいいみたい。
パクチーは葉が成っても枯れて新しい葉がまた出てくるだけで。
その内死滅すんのかな、と思ってます。
余った土にも植えてみたけど、土の方が成長が早そうです。
白いのはサンチュの方です。サンチュの方が成長が遅い気がします。
【パクチー】パクチー栽培から一カ月が経ちました。
こんにちは。おまつです。
最近、仕事のストレスや悩みでブログの更新が止まっていました。まあ誰も待ってはいないと思いますが。
死ぬのも勇気が必要で簡単に死ねないんだけど、ゲームみたいにやり直せるなら死んでるよなあ。
一番簡単でお手軽なのは家で首を吊る事というのはわかりました。不毛だなあ。
一か月前、パクチーの栽培を始めましたがほぼ死滅しました。
水耕栽培簡単じゃなかったのかよー。
やっぱり無計画すぎたんだと思います。
唯一生き残った3つ。
ここから大きくなるのかな。
筆者と同様中途半端に枯れていくのかな。
白い米粒みたいなのは、パーライトという、人工の用土です。
ダイソーで売っています。
スポンジは切って種入れるのが面倒くさい。
お茶パックにパーライトを入れてたね撒いた方が早いということがわかったのでシフトチェンジしましたが
時すでに遅しか、種自体が死滅して育ちませんでした。
パクチーは諦めて、チマサンチュとレタス栽培に変えました。
ダイソーで2袋100円で種売ってます。
ここからは、サンチュとレタスを追いかけます。
発芽率80%以上らしいです。
種を撒いて2日でもう、芽が出ました。
これは期待できそうです。
最近希望も特に何もないので、少しでも希望を持ちたいです。
ホーチミン最終日 飛行機に乗り遅れた原因にオバマ前大統領が影響してた時の話
ベトナム最終日に私は飛行機に乗り遅れました。無事にバンコクへ戻ってくることはできましたが深夜に帰宅するというリスクを犯してしまった上、ベトナムの思い出が苦い思い出に変わってしまうという失敗をしてしまいました。
今回はまた教訓も含め当時を振り返りたいと思います。
ホーチミン最後の食事
サイゴンチャーミングホステルでの最後の夜は男女混合ドミトリーに入れられた。
(斎藤さんの手違いで)
私のベッドの下はおっさん、隣は欧米人男性(グーガー寝てたが、目が合うとにっこり)、欧米人カップル、わし、もう1人アジア系の女子1人というなんともカオスな部屋で過ごした。
男女混合ドミとかなしだわーと思ってたけど疲れてたら寝れました。
サイゴンキッチュでともだちになったジョイと朝ご飯を食べる約束をしていた私。
ジョイがバイクで迎えに来てくれた。
バイクに乗って街に出るとかおもしろーーい!
真横にバスが来たり、ギチギチにバイクが並んでたりと交通整備が無秩序・・。
だけど、現地人になったみたいでたのしかった。いい経験させてもらった。
ジョイおすすめのローカルフードのお店でごはん。
名前はわからないけど、麺(ミエーン)。さっぱりしていておいしい!
メロンの甘いお茶。これ結構すっきりしてておいしかった!
また来た時に飲みたいなぁ。
麺を食べてる間にプリンも買ってきてくれた。
料理を運んでくれた少年にジョイはチップを渡していた。
あーこういう文化があるんだなと。若いもん同士なのに。現地の人と一緒にいるとこういう何気ない文化が見られるのが面白いよなぁ。
カフェでお茶してから、ジョイとはお別れした。
戦争証跡博物館へ行く
帰りの飛行機は3時半。
このとき確か12時半位。
ベンタン市場のバス停から空港までは3,40分。
まだ少し時間があるから、と思い、私は戦争跡博物館へ行った。
そこでベトナム戦争時の写真や展示を見たり、ピューリッツァ賞をとった日本人ジャーナリストの沢田教一さんのあの有名な写真を見たりした。
1時半位になっていたので、そろそろ時間がやばいなと思いつつもタクシー代をケチり、ベンタン市場のバス停まで徒歩で移動。
バスが来ない
やっとバス停に着いたけれど、バスがいっこうに来ない・・・。
すごく嫌な予感。
バスが来ないことを想定してなかった私はかなり焦っていた。
しかも帰りの飛行機はベトジェット。LCCの為1分たりとも待ってくれない。
やっとバスが来て乗り込んだけど、乗ってしばらくすると渋滞につかまる。
道が全然進まない。
何かがおかしい。
平日の昼間にこんなに混むなんて想定外だった。
時間は刻一刻と押し迫る。
私の焦りはよそにバスのチケット係の男はのんびりしてる。
私が焦って「あと何分で着くの?飛行機に間に合わないんだけど!」って言ったら笑ってたし・・。
もう全く動かないので、これはダメだと思いAir Asiaでバンコク行きのチケットを予約した。
結局バスは空港に着くまでに1時間以上かかり、私は帰りの飛行機を逃してしまった。
ちなみに、他の観光客も同じような状況だったのか空港をめっちゃ走ってました。
渋滞の理由
私は2年前に韓国旅行でも乗り遅れて大変な目にあったことがある。
今回の旅行でも移動はかなり気を付けていた。
なのに、最後の最後でまた飛行機に乗り遅れるなんて。
それも2度も、だなんて・・。いい大人が恥ずかしいし情けなさすぎる。
ベトナム旅行の思い出が自分のルーズさのせいで、最悪な思い出になってしまった。
飛行機を乗り遅れるともう本当に立ち直れない。
空港のご飯はまずいし、高いし、最悪。
私はジョイに今日はありがとう、でも飛行機に乗り遅れたと伝えると
衝撃の事実が返ってきた。
今、オバマ大統領がホーチミンに来ていて交通規制が敷かれてるんだよ。
えーーーーーー!!!
ホーチミンに来た時の様子。
いや、道理でまったくと言っていいほど道が進まないなと思ってたけど、
まさか、まさかのオバマ前大統領が影響してただなんて!!
そんな偶然あるか?ってかオバマさんが来てたなんて全然知らなかった。
と言うことは通常考えられる時間よりもっと早くに出発しとくべきだったんだ。
その時に思った。
現地の情報を入手しておくことって大事なんだ!って。
特に一人旅の場合。
馬鹿ですね。
帰りの飛行機を待っている間、バンコクにいるサリーとずっとLINEをしていた。
サリーがいつ帰ってくるの?と心配してくれ、そこからずっとサリーとLINEでやり取りをしていた。
帰りを心配してくれる人がいる、こうやって凹んでる時に相手をしてくれる人がいる人の存在が本当に身に染みてありがたかった。
深夜タクシーはぼったくられるからUberを使ったらいいよと言われたけど何かUberの使い方がその時イマイチわからず断念・・。
Air Asiaはまたしても平気で遅延し、ドンムアン空港に着いたのは夜中1時近く。
ここからタクシーに乗って(深夜に1人でタクシー乗るのもかなり怖かったけど)
宿に着いたのが夜中2時だった。
まとめ~反省と対策~
私が今回遅れた理由は2点。
- 情報不足。バス停から空港までの時間の思い込み。
- 時間が迫っていたにも関わらず、タクシー代をケチったこと。(現地価格で考えてケチるくせが仇となる)
今回は交通規制という事情があったので、たとえタクシーを使ったとしても渋滞にはまって間に合わなかったかもしれない。
しかし本当に急いでるときは後のリスクを考えたら、とにかく現地に少しでも早く向かうこと。こっちの方が大事。(当たり前だ)
馬鹿なりに今回の件での反省&今後は絶対にしない対策を箇条書きで記します。
(あまりにも馬鹿な記述です。)
- 現地の情報は入手しておく。
- 特に交通情報は宿の人に確認しておく。
- 宿から空港までかかる時間をネット情報と相違ないか宿の人に確認する。(私は渋滞を、夕方じゃないから大丈夫、空港まではネットで40分位で行けるから大丈夫と思い込んでいた。思い込みって自分の中で強固なもんだから怖いです。)
- 私の様に時間にルーズな人は帰りは勿体ない精神を出さず、早めに空港へ向かっておく)
- Uberを使いこなしておく
- 本当に急いでるときはケチらない
- お土産は買える時に先に買っておく。(これはちょっと関係ないけど。食品とか買いたかったけど最終日でいいやと思ってたら結局買えなくて悔しい思いをしたので。お土産も余裕を持って買うべし。)
本当に馬鹿だなと思うけど、今思えば
自分がいかにルーズで思い込みが強いか知った。
乗り遅れた後の喪失感は半端ない。(お金、時間、精神的なもの)
私みたいな馬鹿は1度では懲りない。
韓国の時の記事を久しぶりに読むとこのときも
時間のルーズさとお金ケチったことで失敗してますね。本当に学習してませんね。
まあ・・
旅に出なければ何も学べなかったんだから(こういう事は起きてほしくないけど)
成長の糧としましょう。
そうじゃないと、生きていけない。
と自分を励まして締めくくります。
ホーチミン3日目 おしゃれ雑貨サイゴンキッチュに行って来て友達ができた
ベトナムはご存知の通り、大昔は中国に侵略され、やっと中国を追っ払ったと思ったら今度はフランスがやってきて、という常に侵略され、戦かってきた歴史を持っている。
負の歴史もあるけど、中国とフランスの文化をうまい具合に融合させてるのもベトナム。ガイドブックにも載っている有名な雑貨店サイゴンキッチュへ行ってみた。
ちなみにスイティエンパークでバテた後にまた歩いて店まで向かった。
今思えばかなりの体力があったと思う。異国にいる時のパワーってすごい。
この辺はベトナムの富裕層が沢山住んでいるところらしい。
確かに、なんとなくおしゃれな雰囲気。
外国人オーナーの店が多いとのこと。
ミスターバインミーかわいい。
雑貨の色がポップでかわいい!
ベトナム戦争時のプロバガンダデザインのものや、キャラクターパロディを使ったユニークなデザイン、ミスターフレンドリーなどのキャラクターものも、あった。
デザイナーはフランス人。ポップな色使いが心躍らせる。
でも、値段は日本で買うのと同じくらい、高い。
ビニール素材のポーチをお土産と自分用で購入。色々あるけど魚柄を購入。
なかなか日本にはないデザインだから。値段は普通に400円位した。
色々見た中で、女性の顔がプリントされたカラフルなトートバッグを買おうと思い店員さんの女の子にどれが人気か聞いてみた。
女の子はカタコトだが簡単な日本語が話せた。
彼女の名前はジョイ。
この店はテレビの取材もくるらしく「もやサマ」でさまぁ~ずが来店した時の動画を見せてくれた。
すごくフレンドリーだ。
彼女は、英語も下手な私からしたらペラペラで、よく喋る。
なんか、自分の意見を主張する強さがある。
英語は独学1年で話せるようになったらしく、今度は日本語を勉強中と言うので、
なぜ日本語を勉強してるか聞いたところ
「日本人はよく店に来るけど簡単な英語もわからない人が多いから、
私が日本語を勉強した方が早いと思った」と。。
うん、なんかごめん。(笑)自分含め日本人英語喋れなくてごめん!
と思わざるを得なかった。
色々話してたら
「あなた、1年勉強したらもっと英語上手になるよー」と言われ
そこから仕事そっちのけで私への英語レッスンが何故か始まった。(笑)
店の商品に書いてある英文読んで!違う!everythingのvの発音はこう!とか言われてジョイのペースに巻き込まれた。喉は乾くし、店内は冷房があまりきいてない為汗ダラダラ。
いいのか?店。と思いながら。
でも彼女とのやりとりが楽しくて私は今晩夕食でもどう?と誘ってみた。
残念ながら仕事が終わるのが遅いらしく明日出勤前までなら時間があるから、宿まで迎えに来てくれると言ってくれた。やったあ!
という事でベトナム最後の日は、知り合って1日目の友達とお昼ごはんを食べるという素敵な1日になる予定だった。そこから最後にして最大のアクシデントをしでかしてしまうのだがまたそれは次回のお楽しみに。。
おしゃれな店内。
高くて買えなかったブッダキャンドル。
購入したバッグ。2000円位したよ。このバッグは色んな女の人と、カラーがあるよ。
もし行かれる方は、お店の看板娘、ジョイさんは常にお店にいるので気軽に日本語で話しかけてあげてください。彼女の日本語の勉強になります。(眼鏡をかけた若い女の子です)
この後またテクテク歩いて行き、暑いから大企業のビルの中に入ってみた。
サムスンとか日本の大企業の支店とかが入っているようなビル。
世界中のエリート達がここに集まって仕事をしている。
このビルに入っていくベトナム人、駐在外国員は皆身なりが一流だった。
半パン、サンダルで小汚いのは誰もいない。
ドラマでしか見たことないキャリアウーマンスタイル、ヒールで颯爽と外へ出るベトナム人キャリアウーマン。
汚いTシャツ、バッグ、半パン、ノーメイク、ユニクロブラトップなわて・・。
人間は本当に皆平等なのだろうかというフランス革命家さながら考え込んでしまった。まあ自らの低位置を感じただけだけど。
そんな富裕層ビルを見上げながら路上で食すフォー。
韓流ドラマの野心丸出しヒロインなら今はここでフォーを食ってるけどいつかこのビルの最上階レストランで食事してやる!とか言ってそう。
少し歩けばマジェスティックホテルがあったり、オシャレなイタリアンレストランとか、さっきまで見てていたような、道端に寝転がったり座ってる人なんていない。
ベトナムの闇を見た気がした。
どこの国でも感じるあからさまな貧富の差。
なんとなく切なくなりながらホテルへ戻った。