香港からマカオに移動!マカオで半日観光!フィリピン人と激混み観光地!
重慶大厦までの道

香港空港から、尖沙咀までバスで向かう。
1本でなんの苦労もなくいけたのはありがたい。バスの中では爆睡していて記憶なし。
1日目の宿はあの重慶大厦。荷物をおろして、朝食を食べてからフェリー乗り場に向かう作戦をとった。
重慶大厦は多数のホステルが入っている施設。
私たちはAustralian's hostelというところを予約した。1ヶ月前に予約しただけあって、一人2000円代という破格。
事前にAgodaを通して荷物を預かって欲しいと連絡したところ
「サンデューホテルに来い」と返信があった。
このAustralian's hostelはたぶんサンデューホテルの系列なんだと思う。
しかしこのホテルは重慶大厦の向かいのホステル。
まさか重慶大厦に泊まれないってことはないよな?
正直、前日から不安だった。
そしてサンデューホテルは歩いても歩いても見つからない。
私は旅の経験から、これは直接重慶大厦に預けに行ってもいいのでは?という勘が働いた。
だいたい、メールの返信からしていい加減だし、海外には日本のような保証や安心は存在しない。

私たちは16階にあるホステルへ向かった。
このエレベーター、混んでいるとかビルの中も複雑だとか色々言われているが、少し待つっちゃ待つが、あっさりとロビーまでたどり着いた。

小柄なフィリピンだかインドネシアだか出身の女性がいた。
荷物預けていい?と聞いたらあっさりと、「いいよーそこ置いといて。」で済んだ。
あとなんとなく不安だったので予約がとれているか確認したら「予約とれてるよ」とのこと。
重慶大厦は「恋する惑星」や沢木耕太郎の「深夜特急」を読んだ人ならわかると思うが、やはり一種の憧れをはらんでいた。
怪しい路地がいくつも続き、手招きするフィリピンの姉ちゃんやインド人たち。
私はこういう場所が大好きなんだ。
昔はマフィアやドラッグ売買の巣窟だったらしいが、今はそのような暗い影は見当たらない。
ただし一度落ちたら這い上がってこられないようなビルの奥底にはこのビルの闇や歴史を感じ取れた。



多分レセプションのおねーちゃんの部屋
香港からマカオに移動中にみた異様な光景
上環に降り、フェリー乗り場へ向かう途中、何か人がごった返していた。
よく見えると、フィリピン人女性が駅前で集まっていたり、何かものを売るためのデカい袋を持って歩いていたり。
最初は何か祭りか何かあるのかなと思っていた。
フェリー乗り場に向かう歩道橋のようなものを急いでいた時、さらに異様な光景を目にした。

橋の両脇に多くの多くのフィリピン人女性が段ボールを囲って座り込んでいたり、テントを張って寝る強者もいる。たまにものを売っている人もいる。
なんだこれは・・。
彼女らはホームレスのような悲壮感もなし、服装も普通。
この段ボールの囲ってる感じ、ちっちゃいころにこういうところでおままごととかしたような・・。
香港在住日本人のブログによると、この方達は出稼ぎできているメイドさん達らしい。
で、カフェはお金がかかるから外で集まっているようなのだが、これは絶対伝統的に昔からやってるんだろうなぁ。そして、人数が多すぎる。
各女性グループがやいのやいの話し合ったり飯をつつき合っている光景を見ながら、
勝手な妄想だが、あのグループの〜〜は感じ悪いとか挨拶しないとか悪口大会が繰り広げられてそう。。
外国の公道を使ってここまで堂々としているのもいかがなものかとは思うが、警察も注意もしないし、もう香港の景色の一部、社会の一部として成り立っているのだろう。。
あまりにも堂々としているので私も笑ってしまった。
というかうちらが段ボール敷いて座っていても何も言われなさそうだよね・・と言いながら。
こういうところって海外だよな〜と。日本だったら絶対にありえない。
こういう、「なんか意味わかんないけど成り立ってる」みたいな余白な場面をみると海外に来てるな、と感じる。
マカオに移動
フェリー乗り場からマカオへ向かう。マカオへは1時間。この間にふたりとも爆睡。ちなみに船内はきれいで涼しい。
爆睡していたが途中、おもしろいくらい船が揺れて必然的に起こされた。
元・生徒に再会
私の元生徒Kさん。フェリー乗り場まで迎えにきてくれた。
わざわざ出迎えてくれるなんて。。それだけでなんだか感動する。
初めて実際に会うKさんは思ったより背が高く頼もしく見えた。
日本語を話すかと思えば初っ端から英語でそれを日本語で返答するというへんてこ会話スタート。
フェリー乗り場からタクシーで観光地まで移動する。
タクシー代はKさんが支払い。
生徒にここまでしてもらっていいのか、会いにきたのはいいが、なんだか申し訳ない気持ちもあった。
観光地散策

まず降り立ったのはセナド広場。
ポルトガル領の影響でカラフルな建物が並ぶ。
ただ・・もうえげつないくらいの人と暑さで降り立った時からげっそりしていた。
海外からの観光客、というよりかは大陸・中国から来ているんだろうなと思われる中国人の山。
台湾の九份を思い出す。九份も人が多すぎて一回行ったらもういいと思った場所だった。
聖ポール天主堂という、ポルトガル領に立てた教会なんて火災でほぼ残ってなくて正面だけなのにこの前で写真を撮りたい人の列の山。


こういうザ・観光地は苦手である。
もうこういう場所はいいので、ひと通りの少ない路地を歩く。
Kさんはマカオの高級ホテルの屋上に連れて行ってくれた。
ここは観光客が知らない隠れスポットだが、宿泊客じゃなくても屋上には出入り自由。
海外だな〜
風は生ぬるいがとにかく人混みを抜け出せてほっとした。
マカオ全体が見渡せる。

なんというか、あまり品がいいとは言えない巨大なカジノタワーが各所に点在している。
マカオは香港よりも小さい、またここも中国の行政地区。
カジノで成り立っているらしく、カジノで儲けたお金が市民にも分配されているらしい。
マカオ政府はカジノの莫大な税収を財源として、市民に現金を配布する制度を長年実施しています。
これは「富の還元」として知られており、マカオの住民に毎年、直接現金が支給されています。例えば、2019年には1人あたり約13.3万円(当時のレート)が配布されたという情報もあります。
マカオは、カジノによるギャンブル税収が政府歳入の大部分(コロナ前は約8割)を占めるほど、カジノ産業に経済が大きく依存しています。この潤沢な税収が、市民への現金給付のほか、社会保障やインフラ整備、教育、医療などの公共サービスにも充てられています。
by Gemini
すごいね、という話をしたらまあカジノによる問題もあるよとのこと。
ポルトガル料理
行った先の観光地で困る質問がある。
何が食べたい?だ。
いやそんなに困る質問でもないのかもしれないが。
とりあえず地元の人が注文するものが美味いと思っているので好きなもの選んでと言われても困るのだ。
食堂とレストランの間みたいなポルトガル料理屋に入った。
YouTubeで見たポルトガル料理店はずいぶんお高い値段だったがここは中間。


暑さと前日からの疲れで腹が減ってるのかもよくわからなかったが、とりあえず名物の鱈のコロッケみたいなんと、チャーハンみたいなんと、スペインオムレツみたいなんを頼む。
どれも味が濃く、酒がほしくなったが皆頼まないので私も店の湯(中華系の店は湯が基本出てくる)ですませる。
味は特別うまくもないけど、鱈のコロッケはまあまあ珍しかったと思う。
花様年華で使われた伝説のホテル
マカオはぶっちゃけ半日で十分だと思うがここに来てよかった!と思える場所があった。
それは映画「花様年華」で使われた伝説のホテル・・。
実はこの時、私は花様年華とアダムエロペのコラボTシャツを着ていたのだ。
Kさんに「見てみて〜」と言うといくらでしたか?と聞かれた。
え〜と8000円と答えると失笑していたが、この近くに撮影で使われたホテルがあるよ、行ってみる?とのこと。
もちろん即答。いきたいい!!!

名前はSanva hotel(サンバホテル)という、古く、年季の入った佇まいだった。
建物自体は100年以上の歴史があるらしい。
映画の中では2人が2046号室で逢瀬を交わしていたのあのホテル。「2046」のストーリーに繋がる重要な役割を果たしている。
調べたら「2046」でも使われていた。ちなみに205号室が2046室の撮影場所だったぽい。
中を見せてくれるか期待したが、レセプションに座っていた主のようなおばちゃんが「中をみたければ予約しろ」とのこと。まあ当然だよね〜
でも思いがけず連れて行ってくれたことに感謝!
この通りもレトロでひと通りが少なくてほっとした瞬間だった。



夕方になると急に激混みになり、タクシーは捕まらない、バスはぎゅうぎゅうだったので、香港に帰る方は早めに帰るか、夕方のラッシュをすぎてから帰ることをおすすめする。
なんとわざわざ帰りのフェリー乗り場まで送ってれたKさん。
この恩は忘れない。
いい人を生徒に持てたことにも感謝した。
帰りのフェリーも爆睡だったがまた最後のとどめの激揺れ&激寒で目が覚めてしまった。
重慶大厦に帰るが・・

帰ってからは夜景を眺める。
毎晩8時から行われるスターオブライツという光のショーはそんなに大したことない感じ。
お腹もすかないのでビールとお菓子を食べながらぼーっとする。
香港の湿気と熱気に圧倒。
22時ごろ、重慶大厦に戻ってからチェックイン。
しかーし、レセプションのお姉ちゃんがいない。
レセプションの側のソファに若い男の子がゲームをしてたので声をかけると英語ができない様子。レセプションの側の部屋からステテコを着たインド人男性が出てきた。
私はこの人をスタッフだと勘違いしていたのだが、友人曰く宿泊者だと思う、とのこと。
レセプションのすぐ側のお姉ちゃんたちが寝泊まりしてると思われる部屋にもいない。
ちょっと待ってみたら、と言われたのでとりあえずメールした。
ダメ元でステテコおじさんに「お姉ちゃんの電話番号知らない?知ってたら電話かけてくれない?」と頼むと知らないとのこと。
その時気づいた。
私、英語を話す時は頼み事も平気でできるということに。
日本語だったら絶対遠慮してる。(というか日本だったらレセプションがいないという状況もそうそうない)
今までの旅の経験で得た微力ながらのサバイバル力、今まで勉強してきた英語力(んな大したことはないが)が自然とこういう場で活かされている。
やはり旅になると、英語を話すと私は旅人モードに切り替わる。
そんなことを実感した。
ほどなくしておねーちゃんが戻ってきた。明るくてフレンドリーなインドネシアの方。
インドネシアン、ノーマニー!とか言ってたなwみんな大変だな。

つれていかれた部屋は中は清潔なベッドが2つ。薄暗いがエアコンは効いている。
シャワーのドアはちゃんと閉まらないけど、全然悪くない。
私はミャンマーで壁に穴が空いている宿とか、シャワーが1本線しか出ないフィリピンの宿にも泊まったことがあるのでそれに比べたら問題ない。
友人はバックパック旅にあまり慣れてないのでシャワーとトイレが同じ部屋が初めてだったらしい。お湯の出し方を教えてほしいとか虫を殺せないとか言われたので、湯の出し方を教え(今思ったら湯なんて自分で出せると思うが)、虫を処理し。
強くなったもんだなぁと思う。
長い初日が終わった。
就寝!
1年ぶりの海外旅行!初めての香港行ってきた!空港野宿編
こんにちは。おまつです。
なんと・・このブログ。昨年まったく書いておらず最後に書いたのは2023年12月。
超ひさしぶりの旅日記です。
やっぱり旅日記は記録に残した方が思い出になるので、できるだけ書き残そうと思う。
なぜ香港に行くことになったのか
元々王家衛(ウォンカーウァイ)の映画ファン、というのとオンラインで教えている生徒が香港とマカオにちょうどいたので、昨年からなんとなく行こうかなとは思っていた。
ただ距離的に近いのと、香港がほぼ常夏ということもあり、なかなか行くタイミングを逃していた。しかしその気持ちに火をつけたのがあるイベントで出会ったアーティストの方のひとことだった。
「香港まだ行ってないんですか?ぜひ行ってください。香港も台湾も今後何があるかわからないですからね!」
この方は日本や海外(主に中華圏?)でサイバーパンク写真を撮っている方なのだが、とても気さくなお兄さんだった。
香港は中国大陸とは違い、中国の行政地区。香港人はアイデンティティを持っており、中国人と一括りにしてはいけない。
それくらいの知識しか持ち合わせていなかったが、今回の旅を機会に少しばかり勉強してみた。
香港は1997年イギリスから中国へ返還され、一国二制度という形をとっているものの、国家安全維持法施行後、どんどん中国の管理が進んでいる。
王家衛の映画「2046」のタイトルにもあるように、2046年に香港は完全に中国との一体化が進む可能性が高いと言われている。
いつ何が起きるかわからない時代を生きている中で、行くなら今なのかな、と思い今回の旅を決めた。
香港が一番よかった時代はイギリス統治の時期。
今は香港の良さがどんどん失われてきている。
知り合いの香港人やネットの声など、同じようなことを聞いてきた。
確かに実際に行ってみて、想像以上に中国化が進んでいるのかな、と思わざるを得なかった部分もある。台湾にも似ているし「香港らしさ」というものを感じるのは予想以上に難しかったが、それでも、一部分で、旅行者なりにその欠片を感じることはできたと思っている。
さて、初日から旅を振り替えよう。
いつもながら、前置きが長すぎだ。
深夜便出発
今回はピーチのセールで往復25000円をゲット。もちろん預け荷物はなし(笑)
仕事を終えて19時半の空港行きのバスに友人と乗り込んだ。
出発時刻は午前11時55分。
手荷物2つで7キロの荷物制限にビビる人も多いが、パソコンやタブレットを持ち込まなければ案外余裕だった。
心配して何度か重さをはかったが、なんと行きも帰りも一切重さを計られることはなかった。私がPeachの国内線に乗ったのは2年前だが、そのときは、はかりの近くにスタッフがおり、少しでも重量オーバーだとダメだと言われたもの。
国際線はそのようなスタッフもいない。拍子抜けした。

出発までコンビニで買ったおにぎりとチキン、スーパードライを飲み干す。
あっという間に搭乗手続きの時間になった。
手続きが開始された直前に友人がトイレへ行った。しかし深夜便に乗り込む客はそう多くはない。
友人が用を足している数分の間に私ともうひと組の親子が残され、スタッフに「急いでください」と言われた。
友人を急がせ、先に前を歩いている乗客に追いつくためにゲートまでの長い道を走ることに・・。
初日から走ることになるとは思わなかった。
ちょっとしたハプニングはあったが無事に搭乗。

さすがに深夜便は人気がないのか、ひとり一列分占領できた。
電気が消えたら横になろうかな・・と考えていたがなかなか電気が暗くならない。
中国系の飛行機に乗った時はみんな移動したりして一列分横になったりしたものだが、LCCといえど日系航空機。
周りに誰一人そんなことをしている行儀の悪いやつはいなかった。
途中よくある「雲の中を通る」ため縦に揺れた。
アトラクション並みに揺れた。
深夜2時。遅延で悪名高いPeachはなんと予定よりも40分早く現地に到着してしまった。
空港に到着したとたん、友人が
「中国大陸に上陸!」と満面の笑みで言い放ったので若干ヒヤっとした。
「それは繊細な問題だから(発言には)気をつけた方がいいよ。」とやんわりと伝えた。
「ああ、そうなんですね!香港と中国大陸が繋がっていると思ってた!」
私からしたら珍回答としか思えないのだが、ゆとり教育を受け、平和な日本で育ってきた若者(と言っても30歳・・)の一般回答なのかもしれない。
平和ボケ日本人とはまさにお花畑だなと思うが、彼女の無知さはこの国の若者を表しているとも言える。
何もいえない。
空港で野宿
香港国際空港は、まあまあの広さ。
税関検査を難なく終え、ゲートに出てきてしまったのだが出てきたあとに気づく。
中にいた方が涼しいし座る場所が多かったのではないか、と。
深夜だしそんなに急いで出る必要はなかったのだ。
寝床を探し歩き、相方が見つけたのがどんつきにあるベンチ。
複数人がすでに占領していたがわずかにスペースが残っていた。
相方は野宿のためにわざわざ寝袋のようなものを持ってきていた。
私は荷物になるから持ってこなかったのだが、持ってきたらよかったと後悔した。
さて数年ぶりのベンチでの野宿を試みたが、寝られない・・。
ベンチの形も、なぜかこんなところに個性的なデザインが施されており、体をうまく丸め、曲げないと寝る体制がとれない。難儀である。

それに、すぐそばの巨大冷房が当たってものすごく寒い。
あまりにも寒いので持っている服を全部着たがそれでも寒い。
相方はなんとか寝ているようだった。
私はベトナムに住んで以来、異常な寒がりになってしまったせいもあり、ここにいるのは耐えられなかった。
コンビニの付近に移動。

24時間営業のセブンイレブンでコーヒーでも買おう。
香港のセブンイレブンは食品がガラスケースに入れられている。

そんなもんなのか。
私は海外のコンビニにいって、日本との違いをまず確かめる。そこで初めて海外に来た実感を味わう。
会計はドキドキしたが、オクトパスカード(アプリ)にお金を入れていたこともありすんなり買えた。

香港のコーヒーはさまざまな種類があり、1杯17ドルで300円ていど。
日本のより少し高いが、量もまあまあある。
日本にはないフラットホワイトがあったのでうれしくなり購入。
なんで日本にはないんだろうか。
体があたたまり、ベンチに座るとすこしうとうとしてきた。この時で多分4時くらいだっただろうか。
気づくと横になっていた。たぶん、1時間半くらいは寝れたんじゃないだろうか。
次第に、空港のアナウンスが聞こえ始め、人の出入りが激しくなり起こされた。
早朝便で出発する人たちが到着し始めたのだ。
さて、我々もそろそろ移動するか。ということで身なりを整え、バスに向かった。
ロンドンからスコットランドへ移動。世界遺産の街エジンバラ散策



















ロンドン観光二日目!美術館で爆睡!ロンドンの中心で関西弁トーク
2日目もぐったりして終わり3日目もまた早朝4時から目が覚めましたが、頑張って8時くらいまで寝直した。
また朝から出発して季節労働先の同僚におすすめしてもらったビクトリアアルバータ美術館へ。

もう街並みが素敵!日本は古い建物は取り壊されて新しいものに変えてしまいがちだがロンドンはそのまま建物が残っていて本当におしゃれ。
公園も素敵。


ただ歩いている間にやはりまだ時差ぼけが残ってるのか既に疲れてきた。
ここ、あまり知識なく訪れたけど、彫刻や絵画、ファッションやコレクションなど色々なものが展示してあって時間がかかる。
見てる途中から睡魔が襲い、猛烈に眠たくなってきた。
ベンチがあったのでちょっと目を閉じたら気づいたら40分も寝ていた(笑)
海外で寝てはいけないと言うが度を越して寝てしまった。
絵のことは詳しくないのだがこれらの有名な彫刻は本物そっくりのレプリカを作って展示しているらしい。
ダビデ像の肉体、美しい。

この手の彫刻を見るといつも思うが皆短小だよなぁ。
その後、老舗デパートのハロッズへ。
昔からのなんかオリエンタルな内装が素敵。


ただ天井低いし閉塞感がちょっとあったかな。日本でもデパートあんまり好きじゃないけど長居はしたくない感じ。
デパ地下の惣菜とかチョコ売り場がおしゃれ。


ただ日本のが種類豊富だな。
メールがきていた。
セントラルロンドンに来る用事があるからちょっとお茶しませんか?だって。
忙しそうだから会えるかわからなかっただけに、めっちゃうれしい!
それまで時間があったからとりあえず気になっていたカムデンタウンに行ってみた。
パンクカルチャーの街とかエイミーワインハウスの出身地ということでちょっと期待したけど・・うーん。

なんか小汚えな(笑)
なんか既視感がある・・韓国の弘大(ホンデ)ってこんな感じじゃなかったっけ?
とりあえず回ったけどこれと言ったものもなく・・時々典型的なパンクっぽい人を見かけるだけでちょっとがっかり。
エイミーワインハウスの銅像ちっせ!(わからなくて何回も通り過ぎた)

夕方5時になりオクスフォードサーカスの方へ戻る。
昨日激混みでぐったりしたリージェントストリート。
A先生と合流!
A先生は生徒さんとご飯を食べた後だったらしく、その後に私との時間を作ってくれた。
ロンドンのバーに始めて入店。

やっぱりパブとかバーは観光客1人は敷居が高いから一緒に入ってくれる人がいるのはありがたい!
A先生はオンラインでは何回か話したことがあったので面識は一応あったがリアルもそこまで緊張せずに話せたと思う。
このとき精神的にめちゃくちゃ落ち込んでたときだったので、今までのことを話したら、A先生、めっちゃ笑わしてくれたし最初からもう関西弁で励ましてくれた。
話しながら私の今のうんこみたいな状況を整理し、今を楽しんで、楽しいと思うことをやって、あと今まで家無しで過ごしてきて気持ちの拠り所がないから一回家を借りて落ち着いた方がいいのでは、とアドバイスされた。
そうだよね・・
家無しで旅して移動するのもいいなと思ったけどこの後ろめたい気持ちとか、どこかいつも不安定な気持ちは確かにある。
あと旅しててやっぱりずっとひとりってさびしいと思うし。
私はこのブログを始めた当初の10年前よりかは頑張って生きてるしちょっとはマシ、な人生になったと思う。
でもやっぱりまだ心が安定してないし、色々と決めきれてないからふらふらしてるんだろうなーと。
帰国して、ちゃんとそろそろ逃げずに向き合わなきゃな。
そんなことを思った。
やっぱり話せる人がいるってひとり旅だと余計嬉しい。ワインも美味しいし超たのしー!
A先生からしたら私は何に悩んでるのかわからないそうだ。
悩むことなんて何もないよ。って。
自分で自分をややこしくしてるだけかも。
気分が晴れて次の日は朝早くからスコットランドへ。

帰りの電車の中でトランプが散乱してた。なにがあったんよw