ベトナムの秘境地Yty村&nhiu co 山に行ってきた!続編
こんにちは!おまつです。
前回記事から放置しすぎました。
放置しすぎて誰も待ってやしないと思いながらも続編を書きます。
どうでもいいですがベトナムから日本に1月に帰国し、TOEICの試験に集中していた為ほったらかしていました。
現在無職2か月です。どうでもいいですが。
今後の予定は未定ですがまた海外に戻る可能性も大いにアリます。
どうでもいいですが。
岩山の急こう配を上がる
さて、前回ぬかるんだ泥山をバイクで駆け上がり、泥にダイブから始まったこの登山旅。
とにかく天候と足元が悪い中、韓国人のアジョシ(オジサン)が木の枝を拾ってきてくれ、
「これに捕まれ、アジョシの足元を踏んだら滑らないから足元を辿るんだぞ。」
と助けてくれた。
アジョシ・・何だかんだ文句言いながら優しい。
私のNIKEのスニーカーはとにかくツルッツルに滑る。
もう新年から何の修行?
ニューコー山は標高2,965m。
これがどれだけのレベルかはわからないが中級レベルの山らしい・・。
多分300mでも疲れそうな私がこの山に挑戦したのは無謀すぎる。
山岳民族のガイドのおねーちゃんが私のリュックを背負い、私の背中を押し、エムもずっと腕を引っ張ってくれる。
でも体力が追いつかず、足が前に進まない。
メンバー総出でサポートしても無理って辛い。
登山が趣味の友人にこの話をしたところ、登山は一番遅い人のペースに合わせるのが良いのだそう・・。
そうすると遅い人も安心して歩けるし、他のメンバーも景色を楽しめることができるらしい。
ガイドが昔太ったベトナム人を5000円でおんぶして頂上まで連れて行ったことがあるらしい。
もう限界なので自分なりに悩んで5000円払うからおんぶしてとガイドに交渉するも、お前は身長がデカイからだめと断られた。
これ以上は無理。下山を決意
死に物狂いで2・3時間上った後、やっと滝がある場所に到着し、休憩。
ここまできてまだ半分もきていないと言われた時はピスタチオ(芸人)のあの顔状態。
そして昼ご飯は謎のオレンジ色のごはん(多分甘いやつ)と大量のハムときゅうり・・・。
組み合わせが謎過ぎる。
しんどすぎて米なんて喉に通らねぇ・・ベトナムの登山飯ってこれ定番なんかな?
吐きそうになりながら水ときゅうりを胃に入れる。
アジョシに相談してみた。
「私もうこれ以上進めないので下山したいのですがどうでしょうか。」
アジョシもこれ以上は限界だけど、言い出しにくかった様で私がそう言ってくれるのを待っていた感じだった。
私たちはエムに「もうこれ以上は無理だ、行きたいなら申し訳ないが1人で行ってくれ」と伝える。
エムは体力的に問題なかったので頂上まで行きたかったと思う。
が、下山も外国人私達2人だけと言うのも危ないし、多少責任も感じたのか?3人で降りることに渋々合意。
ガイドへの返金問題で若干揉めたものの、アジョシが金で解決できるなら自分が払うと言い金で解決。
ガイドのおねーちゃんも若干戸惑っていたが、私達がこれ以上進まないと決めたところ、さっさと山を駆け上がりあっという間に姿が見えなくなってしまった。
下山も必死のパッチ
下山もぬかるみの山を降りていくのは大変。
でもこれで終われるのなら最後の力を振り絞って必死で降りた。
一度、川を渡っていくときに濡れた岩の上で思い切り転倒した。
打ちどころが悪く川に流されていたら・・
死ぬときは走馬灯の様に思い出がめぐると言うが、転倒した時は一瞬がスローモーションのようだった。
普段は運がいいなんて感じたことないけど、無傷で生きている自分は運がいいんだと思った。
途中から現地のバイクの兄ちゃんのチンピラの様な集団が迎えに来てくれたが、兄ちゃんたちが救世主に思えた。
私は兄ちゃんにずっと腕をつかんでもらいながら下山。
帰りのぬかるみバイク30分は芸人さんか面白く撮れるYoutuberに体現して面白映像を撮ってもらいたい。
暗闇の中で宿探し・・少数民族の宿へ
Yty村には宿がないため、ここから20キロ程離れた村に泊まる場所へ早速移動。
しかし進んでも宿らしきものは何もない。
日が暮れると同時にまた深い霧が立ち込め、やっとの思いで山岳民族が経営する適当な宿に宿泊。
google mapで確認すると中国の国境にも近い謎の場所だった。
2ベットルームのログハウスみたいな場所に入ったがなんと部屋は極寒な上、暖房がない・・。
もう疲れすぎて写真なくてすみません。
エムはさっさとシャワーを浴び、その後も裸足で髪も乾かさずに家族とzaloで通話している・・強すぎる。
私とアジョシは風呂には入る体力もなく、とにかく体をあたためる為に地元の人が作ったトウモロコシの焼酎を呑んだ。
宿の人が急遽食事を準備してくれたのだが、頼んでもないスペシャルな鶏の丸焼き・・新鮮な鶏なので弾力がすごかった。
外国人が泊まりに来たからか、3人分で600,000VND(約3千円)と結構良い値段しました。
鶏がなかなか焼けず、やはりベトナムは何事もうまく進まないことを思い知らされた夜だった。
次の日はサパへ
Yty村を出て、サパに入り、観光スポットのファンシーパンに向かった。
ファンシーパンは、エムは何度も行った事があるから下で待っていると言ってきかない。
待ってもらうのは申し訳ない気持ちにもなったが、ここはアジョシとファンシーパンを楽しませてもらうことにした。
幸い天気にも恵まれて圧巻な風景が堪能できた。
アジョシと2人はコミュ障の私としては気まずいなと思ったが、アジョシがファンシーパンに大興奮していたおかげで永遠と何か韓国語で喋っていたので助かった。
エムは帰りのバスでセーターを忘れ、翌朝問い合わせするも、セーターは見つからなかったと言う。
私たちが最後に降りた客だったので普通なら絶対になくなるはずはないのだが・・。
何事も思い通りに行かない、それがベトナム。
エムの後先考えない行き当たりばったりな感じにはどっと疲れた。
多分もう一緒に旅行することはないだろう(笑)
サパはカットカット村と言う観光客向けに作られた見世物の様な村があると聞いたのですがYty村の方がモン族の生の暮らしが垣間見れるのでそちらの方が刺激があると思います。
どなたかの次の観光先の参考になれば幸いです。